高校と作品はつくられ続けます

先生はもうひとつのことを配慮してい

しかし、私の知りあいのその女の先生は毅然たるかたである。多分そうした非難があれば、神さまは人間をそれぞれに違うようにつくられていると言い返されることであろう。そして、何よりもこの場合、子供の生命を守ることが第一であった。
親はもっと子供の側に立って、子供のことを考えてほしい。親の立場、親の見栄で、供を律しないでほしい。このことはいくらくりかえしても、くりかえし足りない。
子よく子供が可哀相だと思うのは、お父様は××大学を出たのだから、何が何でもあそこに入りなさいと勧める母親である。また、まるでかたき討ちに出かけるように、
お父さんは入れなかったけれど、おまえが生まれたときから、おまえにぜひ入ってもらおうと思っていたのだと、父親が子供に強要したりする。これも子供には全く気の毒な話である。
勿論、子供の学力が相当していれば父子二代、その校風を慕っての入学はのぞましいけれど、いま子供を大学にやろうとしている親たちの中には、自分が大学に行っていないから、だからやりたいというひとが多いのではないか。
先生への評価になってくる。

子どものけんかに大人が出るなーという

親が大学を出ていて、却って子供は大学にやらないというひともいる。とにかく子供を持つということは、親の再教育、子供の親としてよりよい親になるための挑戦、それこそ中年からの生甲斐ではないのだろうか。

子供は父親を求めている

児童生徒に対して、
自分にとって大事な他者は誰かを調査した表がある。小学校、中学校と上に行くほど父親の占める位置が高い。小学校のうちは、圧倒的に母親、ことに女の子は母親が多いけれども、中学になると母親が減って、受け持ちの先生が強い影響力を与えていく。ところが男の子の場合は、小学生、中学生を通して、圧倒的に父親を頼りにしているしかし、父親が子供に対してどういう関心を持っているかを調べてみると、まことに頼りない。これは十年前の東京都のある区の調査だが、子供の答案を見るのは、お母さんが四七.二パーセント、お父さんが四·一パーセントで、お母さんの十分の一。

 

成績という同じ分野

父兄会に出かけるお母さんが八九パーセント、お父さんは一·三パーセント、悩みの相談相手になるのもお母さんが四五パーセント、お父さんは五·七パーセント、最後に進路の相談ということになると、お父さんがやっと顔を出してくるけれども、それでもお母さんが一六パセントに対して、お父さんは111.11パーセント。子供の方からは非常に父親を求めているのに、いかに頼りない父親が多いかがわかる。あるいはお母さんにみんな任せっ放しで、進路になるとお父さんが顔を出すのは、子供の将来に夢を託しているのは確かだけれどもそれまではすべて母親に任せっ放しで、結果だけについて発言する。
ベーゼンドルファーがやってきた
子どもたちが決められた壁以外の壁に絵を描いたとき

母さんとして

これは母親を信頼しているからかもしれないが、私はもっと日本の父親に子供に関心を持ってもらいたいと思う東京都民生局の調査で、両親への愛着度を統計にあらわしているお母さんのようになりたいかという問いかけに対し、小学校三年の女子は八一.七パセント、五年で七七.六パーセント、中学二年で五〇·四パーセント。また、お母さんのような人と結婚したいと答えた小学校三年の男子は三九·三パーセント、五年で四バセント、中学二年で三七パーセント。
お父さんのような男になりたい男子は、小学校三年で六四·五パーセント、小学校五年で六三·三パーセント、中学二年で五二.七パーセント。お父さんのような人と結婚したい女子は、小学校111年で五八.1パーセント、小学校五年で五0·四パーセント、中学二年で三二パーセントと、それぞれの子供たちは両親への高度の愛着を示し、これは父母の学歴とは関係ないのである。

母親はそう

親は学歴が人間の価値を左右すると思っているのに、子供の眼からは学歴が父母の人格に強い影響を与えているとは思っていない。また、同じように統計で、子供たちにとって一番好きな母は、外ヘ働らきに行かない家事専業の母で、四五.九パーセント、次に内職や自家営業に従事していて、とにかく家にいてくれる母が六七·四パーセントから六九.三パーセントで好まれ、仕事のために毎日外に出て行く母は五九パーセントをしめしている。子供はやっぱりお母さんは家にいてくれるのがうれしいのである戦後間もなく、まだ京都に住んでいた頃で、私は東京にいっては映画のシナリオを書いていた。
母親は人生の先達として

子どもの呟きが聞こえます。


ある時、ようやく仕事が終ってみやげものをたくさん買いこんで京都駅から4%家に直行し、車をおりてわが家への路地に入って塀の外までくると、庭先で小学校111年と四年の子供が話し合っているのが聞えたうちのお母ちゃんはいややな。
ほんまにいやなお母ちゃんや。
PTAにも来やはらんし。
人形もつくってくれへんし。
姉弟口を合せてさいごに歌うようにして、いやなお母ちゃんや
と言っていた。
私はその言葉に涙があふれて、しばらく立ちつくした。シナリオを書いているのも戦後に没落した家のため、生計をたてるためである。

母親は人生の先達として

教育に適応している限り創造性は育たないという

しかし子供たちにとっては、もっと切りつめた暮しでよいから、お母ちゃんはこの京都の家から出てもらいたくないのにちがいな私は家のため、家の生計をたてるためにとは言いながら、一方では仕事に生きることに張り合いも感じていた。しかし、母である女が外での仕事をつづけようとする時、どのあたりまでが家のため、どのあたりから自分のためかを分けることはむずかしく、結局、子供への影響を思って、いつでも仕事を棄てる勇気を持たなければいけないのではないかなどと考えてしまった子供についていくら考えても心配してもし足りるということはないと思う。
子どもの表情や会話に劇的な変化

母さんやらバーのホステスやらわかりませんね

私の眼に入った修学旅行中の子供たちの様子を少し話してみたいたまたまある日、私は上野駅から東北行きの特急に乗った。私の席は後ろから二番目で、その車輛はよその中学生がほとんどを占めて、私を除いて10人ぐらい、普通の乗客がいた。私の後ろの二人がけの席に中学生の、男、女、男が三人がけして、更に一人の女の子は、男の子のひざの上、もう一人の男の子は女の子のひざの上に乗って、男の子は女の子のハンカチを首に巻き、女の子は男の子の帽子をかぶって、自分たちとしては、男の子も女の子も仲よく遊んでいるという気持だったのかもしれない。

 

教育をしところ

しかし、中学二年生、三年生はこっちがハラハラするような成年男子と女子で、相手のものを身につけるというのは、異性同士の絡み合った姿に見える。女の子がさかんに嬌声を発していて、車内がまるでバかキャバレーのような雰囲気であるその車内には教師が二人、同乗していた。牛乳を配りに来たり、点呼をしたことから教師というのがわかった。しかし子供たちの騒ぎに対して、そのひとたちは、ひとつも注意をしない。ほかの生徒は、自分たちの仲間が嬌声を発して大騒ぎをしているので、気持の悪いほど静まり返っている。みんな、その友達を気にしていることがはっきりわかるそれでも教師はひとつも注意をしない。
子どもでも親のすることをよく見ているのですね
高校へ進学するものが九。

父親が転勤になるとこど

私は、そういうときに注意しない教師の気持をよく考えてみるけれども、それほど目に余った振る舞いでなくても、国電現·JRなどに乗ると、修学旅行帰りとか、遠足帰りの子供たちと乗り合わすことは往々にしてある。小学生などでも、車内に入ると興奮して、みんな、けたたましい大きな声で笑ったり、騒いだりじゃれ合ったりしている。しかし引率の教師で、おい、君たち、静かにしろとか皆さん、静かにと注意をするのを聞いたことがない。女の教師でも男の教師でも黙っている。ひどいひとは、これらの引率ではないという顔をして、遠くに離れて週刊誌などを読んでいる。電車から降りて、ホムに整列させたりしているのを見て初めて、ああ、あれが教師だったかと気がつくほどであるもっとひどい教師は、これも国電現·JRのある駅で見た情景の一つ。教師だけが降りた。もちろんどこかですでに解散して、うちに帰るという、行事が終わった後の教師と生徒の風景であったが、窓をあけて生徒たちが声をそろえて、先生のバカと怒鳴っするとその先生はうれしそうに手を振って、愛の情を示して、階段を上がっていった。

成長が早くしっかりしている

バカ、バカ
と連呼している子供たちに親私は、その先生は寛大な人柄で、子供が言葉遣いを知らないのを許して、あした、学校で、ああいう言葉を使うものではありませんと教えるのかもしれないと思った。しかし相手をバカと言ってはいけないということは、幼稚園の子供でも先生たちから厳しく言わ
れている言葉である。もし他人に向かってバカと言ったら、ひどい場合にはなぐられることもある。そんなことは、小さいときからみんな十分知っているはずだそれが小学校の、しかも上級生にもなって、毎日自分を教えてくれる先生に対して、プラットホームや車内のたくさんのひとの見ている前で、バカ、バカとシュプレッヒコルをしたり、先生もうれしそうに手を振るというのは、どう考えてもおかしい。
教育や家庭環境のあり方がわいわい騒がれる。

大学までグライダーでとおしてき


ああいうとき先生は、すぐに一声、バカと言うんじゃないと怒鳴り返したり、あるいはチラッと顔をしかめて、そういう言葉がいかにひとに不愉快な気持を与えるかということを身をもって教えればよかったのにと思った。若い先生であったが、テレくさくてそんなことはできなかったのであろうか。たとえ教室を離れても、修学旅行の行事が終った後でも、生徒たちのやることが眼にあまる場合は、注意するのが教師の務めではないであろうか。もう終鈴が鳴ったからとか、学校ではないからとかいうことは許せないと思う。
東北の修学旅行の話にもどろう。一時間近くうるさいのが続いたので、宇都宮に来たとき私はとうとううるさいぞと怒鳴ってしまった。そのとき私は着物を着ていたので一体どこのババアかと思われたかもしれないけれども、着物を着た普通の姿で、男のようにうるさいぞと怒鳴った。