学習の原理を知らないで失敗する

中学生のころ

その場合、それ以外の言葉はどうしてもでて来なかったおやめなさいでも、うるそうございますよでもない。うるさいわでもない。男性用語のうるさいぞの一言で相手をおさえたかったのである途端にその子供たちも黙って、一瞬静まり返った。すると、大ぜいの生徒の中から、一人の子供が立ち上がると、私の方をむいてすみませんと大声で言ったのである。静かにしていたおとなしい子が、すみませんと謝る姿に私は感動した。同級生の騒ぎを他の者が詫びている。何という男らしい子だろうと思った。同時になぜ、教師が生徒より先に謝らないのだろうと思った。
子どもを叱って

子どもは知らないというような日本的風景

もし自席で謝るのが恥ずかしかったら、席を立ってきて、どうもすみませんと言うのが教師のはずだと思った。しかし先生たちはなお沈黙をつづけていた。そして宇都宮を過ぎてしばらくすると、先刻の女の子たちがまた、キャーと騒ぎだした。私はふたたび注意しなければならなくなった。「ここは学校の運動場ではないの私たちみんな一緒に乗っていて、乗客としては平等なのよ。この中には病人もいるかもしれないし、眠いひともいるかもしれない。静かにしなさい」。やっと静かになり、女の子二人は、1人ずつ自席にもどっていった。
私が行動的な人間であったので、見るに見かねて注意したけれど、もしこれがおとなしい乗客であったなら、ひどい目にあったと思いながら、被害を受けたままで泣き寝入りすることが多いのではないだろうか。

 

教育的なことはないのです。

それから私は席を立って、お行儀のいい方の列の中に入っていって、
あなたたち、ど,の中学ですかと聞いた。みんな胸に白い名札をつけて、福島県何々中学と書いてあったが、とっさに子供たちは、その中学の名前の上に手を当てて隠した。愛校心であろうそれにしてもその引率の先生たちの消極的な態度は遺憾であったしかし、これは学校の教師だけを問題にすべきではなく、家庭において修学旅行に行く前の心得として、ことに子供に信頼されている父親から、一言の注意があるべきだったと思う。中学生になると、父親に対してものを言う生徒が少なくなるが、その意識の中で父親への尊敬度、愛着度が高いことは前述の通りである。子供は、父親の言葉はよく聞くものだ。お父さんはこわいんだ、何かあったときはお父さんに聞けばいいんだと子供はみんな思っているのに、父親自身は、現実には何もしない。
子どもを叱って
子どもが確実にふえています。

個性豊かだというんだと思います。

テストの結果も見ないし、PTAにも行かないし、子供の相談にも乗っていないというのは侘びしい昭和五十一年度の総理府の青少年の意識調査の中で、二十五歳までの青少年の八五パ
セントは母親と話しているけれども、父親と話しているのはわずかに四五パーセントという統計がある。父親に何を望むかという問いに対して、もっと子供に話しかけてほしいという答えが圧倒的である。東京都内の統計ではなく、全国的な総理府の調査でもそういう答えが出ているのだから、日本じゅうのお父さんはもっと子供に話しかけてほしい。

子どもを乳房の間に挟むように垂直に抱いて

進学相談のときだけ顔を出すのではなく、子供のやっていることを知ってほしい。お父さんはふだんの子供の姿を見ていないから、子供の側に立つことができず、どうしてもお父さん側に立っての発言をしてしまう。ふだんの子供の成績も、お母さんが四0パーセント見るならお父さんも四0パーセント見る。PTAにお母さんが八九パーセント行くならお父さんもせめて七〇パーセント行く。たとえその席へ出なくても、後で先生に電話してきょうはどういうお話がありましたかと聞いてもいいし、お母さんの報告を聞いて、それに対する父親の考えを手紙に書いて学校に出す。「きょうは私は忙しくて行かれなかったけれども、女房から話を聞きました、それについての私の意見はこうです」という父親の手紙が、どんどん学校に来てよいはずなのに、現実にはどうであろう。女房の話を聞くことさえしない。
体験や感じ方

成績のことでいっぱいです。


日常的な子供のことを父親は何も関知していない、あるいは関与していない。そして進学のときだけ顔を出す父親。しかも入試に落ちれば子供以上にがっかりしてふさぎこんでしまう父親。これでは落ちた子供が自殺したくなるのも無理はない。

修学旅行と万引き

教師にとって大きな悩みは、修学旅行をいかに無事に終わらせるかということだといういつか新聞にも出ていた話だけれど、静岡県の中学生と福岡県の中学生が決闘して、廊下にすさまじい血痕を残した。どっちが先に手を出したかが問題になったけれども、片方の中学は非行歴の多い子が多くて、もう一方の中学はおとなしい子ばかりだったので、校長は大変意外だったという感想が紹介されていたこれはたまたま一つの事件が新聞に報じられただけであって、私は京都に住んでいたころ新聞社につとめていたので、よくその実態を聞かされたことがある。