母乳だけでは不足である。

子供たちは宿題を忘れても家に電話して

子どもたちが持ったのでしょうか。
娘と一緒に絵を描き、娘と一緒にたんぼの草をとり、野原に行って花を摘み娘と一緒に歌を歌った。暮には娘と一緒にお餅をつき、お正月の用意をした。そういう思い出をもって嫁ぐ娘の方が、カギツ子でわびしい子供の頃を過ごし、たくさんの着物をつくってもらう娘より、ずっと仕合わせだと思うけれど、どうであろう。
地方によっては、手づくりのものは軽蔑されて、機械でつくったものの方が文明であり文化的であり、近代だと思っているようなところがないかしら。私はいつか大豆を買い、こうじをしこんでお味噌をこしらえた。ラッキョウも漬けたし、梅干しもつくった。庭のハコベも摘んで、ジュースにしてせっせと飲んだ。

教育改革なくして日本の再生はない
しかしそんな話をすると、忙しいのに時間が勿体ない、買えばいいのにとびっくりするひとがいる。野菜がいくらでも売られているのに、なぜ雀みたいに庭のハコベを食べるのかなどとも言われる。お金を使うことがすべての価値の一番にあり、お金を使わないことは悪徳とさえ思っているようだ。戦後、物が乏しく、みんなが飢えていて、人々はお金が欲しいと痛切に思った。その傷あとがいっまでも癒えないでいて、高度成長以来、お金をふんだんに使うことが、人生の一番の価値だというような考えが定着してしまったようにみえるのは残念なことだと思う。

子どもがいる家である以上長子あるいはひとりっ子

子供の筆箱一つでも、千代紙を張ったお母さんの手づくりの箱の方が、デパートや文房具店にいくらでも売られているものより、子供の思い出に残るであろうし、何よりも母の思いがこもってそのことが嬉しいはずだ。私の母は、父の死後、借金を抱えていつも忙しく働らいていたが、私の父はまた人形などを飾る趣味など毛頭ないひとで、わが子には五月の節句も三月の節句もなかった。
ところが私は、おひなさまが好きでしょうがない11月の半ばから、町の方々の人形を飾った店を見て歩くのがとても楽しかった。五月のお節句のころも、急に町が生き生きと活気づいて、人形屋の店に武者人形が並ぶと一軒ずつ入っては見て歩く。親類の家の節句には喜んでよばれて、それらの人形をあかず眺めるというような子供であった。それでいて、自分もほしいとは口に出して言えない。父が死んで母が苦労していると知っていて、ほしいというのは母に悪いと思っていた。でもどうして父は生きているときに、おひなさまを買ってくれなかったのだろうか。小学校四年生のころであったろうか。一度母に聞いたことがあるある日、母がおひなさまの絵を描いてくれた。画用紙を幾枚もつなぎ合わせ、あり布でまわりを表装して掛軸にして、床の間に下げた。それは売っているおひなさまの立派な華やかさとはちがうけれど、もっと息の通った生き生きとした人形に見え、床の間の前にすわってあかず眺めた。

個性を花開かせるように導く母乳だけでは不足である。嬉しかった。
母はときどきウサギやイヌやネコの絵を描いてくれたが、ふだんはこわいばかりの母が楽しそうに子供の画用紙や色鉛筆をつかって、子供の前で絵を描いて見せている姿は何というやさしさであったろうか。母はまた、正月には必らず四人の子供たちに、新しい着物を着せてくれたが、年の暮れの忙しいとき、毎晩夜おそくまでせっせと着物をぬっている母の姿を見るのは嬉しくありがたかった。
スキンシップという言葉があるけれど、お金を使わなくても、母親がこれはあなたのために心をこめてつくったのよと、手づくりの絵や、菓子や服などを見せてくれるとき、子供の心はぴったりと母親の心によりそって、自分の母親を誇りにし、そのつくったものを大事にするのではないだろうか家の近くの道路には、いつも母の帰りを待つ子供たちが、日暮れまで遊んでいる。

父親であって

心なしかどの顔もさびしそうである。学校から帰ってきたときに、母が家にいるということは、子供にとって何物にもかえがたい安心感ではないかしら。そのためにアルバイトの時間を減らして、収入が減っても、買えないものは自分の手づくりで補ったりしてはどうかなどと痛切に思う。
いつか滋賀県のある中学で、いつもいじめられている同級生を殺すという事件があった。
その家も、子供はりっぱな部屋を与えられ、りっぱな家具調度を並べ、小遣いも十分に与えられていたという。しかし子供にとってそれが仕合わせであったかどうか。

学校の問題でつまずきがおき

小遣いが十分なところから酒を飲み、たばこを吸い、神経を狂わせて、殺人というような動物的行為に走ってしまった。親が子供に与えなければならないのは、ひとがひとらしく生きるためにはどうなければならないか。何よりもそのことが一番のような気がする。

子供のしつけより親の生き方に問題が

この間、東北のある町に行ったら、母親たちが口々に今度スーパーができましてねエ……と言う。子供が万引きするようになったら、それが心配ということらしい。
運が悪い
競争で万引きをして学校で自慢し合う。
れてしまう。
見つかった子は、の一言で片づけらいつかNHKの奥さんご一緒にの放映で、親のしつけが不足ということをテーマにした。そのとき一人のスーパーの経営者が言った。子供連れの客が来ると、店員が緊張する。いつも眼で子供の姿を追いかけなければならない。

      育ててきたような気がするのだ
      母親の優しい言葉に泣いた少年は苦しいことがある
      先生が受け持っている教科


母乳だけでは不足である。 母親は人生の先達として 母親は非芸術家的人間の典型