子供を幸せにできるのです。

子どもたちにとって

ウチの方だって生活がありますよなどと言って。
一台置くと場所代だけで11万円か111万円入ってくる。それだけの補償をしてくれないかと言う商店があるそうである。その家の子もまた、わが家で売るポルノ雑誌を読むのだろうか。中央線沿線のある町では、そのようなスタンドを全部撤去させた。それでも見たい子は、電車に乗ってまたよそに買いに行くかもしれないが、母親がそれだけの運動を起こしたということで、子供たちに批判の目が養われると思う。ただ私が提案したいのは、それらの場合に母親だけが熱心で、父親の動きが見られないということである。父親が子供たちに読ませたくない物を追放しようと言う。父親も男の立場から母親と同感である。そういう態度を示してくれたら、店にかけあう前に、子供たちがいくらそんなものがあっても、見向きもしなくなるかもしれない。
子供を幸せにできるのです。

子供にするため

母親は反対しているのに、父親はこっそり自分で買うこともあるなどということになりかねない現状は残念である映画などについて、アメリカあたりではこういう映画を見せてはならない、見てはならないという婦人の発言力が強い。日本のテレビで露骨な性的場面を茶の間に流したといって問題になるとき、母親と父親が合流して親としての発言になれば、ずいぶん強力な発言になると思うことがよくある子供の年齢が上がるほど、父親への依存度が高まることは、子供が成長するに従って社会的な目が開けてきて、社会に出て活躍している父親に対する期待が高まるのであろう。

 

才能を表わすという。

私の知りあいに大変勉強家のお父さんがいる。ある電気会社の企画室につとめて新しい製品の開発に当るのが仕事である。自分の会社の仕事のためにもいつも新しい考えを持つ必要がある。どんな製品を大衆が求めているか。
それを知るためにはテレビが第一だという。この人は会社が終るのを待ちかねて家帰ってくる。駅前の飲屋で一ぱい飲んでということはない。わが家に帰って一ばい飲んで食事。このときは子供たちの漫画の時間である。テレビは子供たちのためにある。子供たちは漫画を見たくて早く食事をする。食べながらテレビは見ないことをまずお父さんが実施それから番組はお父さんが管理して、子供たちはいやらしい場面は見られない。もっともいやらしい場面は深夜に多いが、この人は八時になるとテレビを消して寝てしまう。子供の勉強時間であるお父さんにとって昼の疲れをとるための睡眠で、お母さんは台所の片づけが終ってテレビ何かお父さんに役だつようなことをテレビを見ながら考えてあとで報告。
お父さんが起きるのは夜の十時、子供は勉強を終えて寝ている。お父さんは十二時まで見る。ここでいやらしい場面のあるようなテレビにおめにかかるのだが、このさいも子供たちがトイレに起きるかもしれないとあってそんなところはスイッチを切ってしまう子供たちは小学生1人、中学生二人の家庭だけれど、いわゆる反抗期にさしかかった子
供たちであっても、喜んで見るという。
中学生ぐらいになって
子どもと酒をくみかわすことだと言われるがわ

教育界が変わらない限り無理なことです。

テレビに関してはこの父親を信頼し、むしろ父親が推せんする番組をもう一人の知りあいは、子供たちが見すぎるのは学力の低下につながるものとして、父親自身がニュースと天気予報と教養番組以外のテレビを見ない。父親が茶の間のテレビの前で会社の仕事、母親もそのそばで自分の仕事を続けるということで、子供たちは否応なしに勉強部屋へ行くという家もある子供は東京都民生局の調査では、小学校三年で一時間十分、小学校五年で11時間11分中学二年で一時間四十一分という平均の数字を出している。おもしろいのは、テレビを見ようとしたらテレビがこわれてしまった。その時あなたはどうするかという問いに対して小学校三年から中学二年まで、男女ともすぐなおしてもらうという数字より、テレビがないのもいいと思うという数字が10パーセントも高いことである。

子供がお父さんを尊敬

私の知りあいの家の子供たちの親によるテレビの管理は、共感を得ているのだいま子供たちに対して親に何を望むかと聞くと、お小遣いがたくさん欲しいという答が一番多く返ってくる。またどういうとき一番うれしかったかと聞けばお小遣いをたくさんもらったときという答が多い。このことからも、子供たちがいかにいつも購買欲をそそられていてその欲望を抑えることがむずかしいかがわかる。
小学校高学年くらい

子供の可能性


お小遣いをたくさんもらえば、自分で買う。お小遣いが少なかったら、万引きしてでもただで済まそうとするお小遣いはそんなにたくさんもらえないけれども、どうしてもおしゃれをしたいという子、ちょっといかしたセーターを着てみたい、日曜日にディスコに踊りに行きたいなどという女の子はやすやすと売春に応ずる。これがまた全国的に蔓延している現象だ。友達同士のだれか一人が、麻薬でいえば売人になる。非常にいやな言葉でいえばポン引きになって、同級生同士あるいは同じ学校の仲間を誘って、イモヅル式にずるずるとのめり込んでそういうポン引きなり、売人が目をつける子供というのは、やはり教師もふだん目をつけている子供で、男の子であれば制服のボタンを一つふやしたり、カラーの幅を高くしている。

体験や感じ方

子どもが生まれた。

いたずらをして体育の器具をこわした。先生はなぐって叱った。大変熱心ないい先生であった。しかし、親たちは署名運動をして教育委員会に訴え、その先生は別の学校に行った。それ以来、父兄には、先生を異動させる力があるということを親たちも子供たちも知り、その微妙な態度が教師に反映しているのだという。
なぐれば署名運動、そして今、その運動の中心をなした父兄が、今度はなぐらないことで教師を非難しているというのは矛盾している。口々に教師の事なかれ主義を批判する前に、何故、教師がそうした態度に出たかを父兄も考えてみる必要がありそうだ。この学校のなぐらなかった教師には直接会った。じつは私自身もなくればよいと思っていた。しかし、柔道三段であるその先生は、自分より弱い生徒をなぐることはできない、また、なぐるばかりが教師のつとめではないと思っていると言い、なぐらなかった自分をこそ、ひそかに自分でほめてやりたいぐらいだったという態度を私は立派だと思った。
体験や感じ方

子どもにとって家族の中に兄弟

何が子供にとって一番よいしつけなのか。
子供の服装を派手にしたり、ほしがるままに小遣いを与える親というのは、子供の仕合わせということよりも、自分の見栄のためであることが多いのではないだろうか。あそこの家はいつも同じものを着せていると思われるのではないかなど、要らぬ心配をしたりしていつか鳩待峠を下って、尾瀬を横断し、三平峠へ抜けて行ったことがある。もう夕方近いころだったが、二00人近い中学生の一団が反対側から登ってきた。全員真っ白のトレパン、真っ白のシャツ、それに真っ白の運動靴。それもほとんどが新品にみえる。東京都内のある中学の子供たちであった。
山に登るのに、純白の服装、しかも新品の一そろえを着せられたら、子供は可哀相だと
まず思った。子供自身も汚したくないと思うだろうし、親もきっと、あまり汚すなと言って送り出したに違いない。どろんこになって帰ってこいという親はあまりいない。
そうなれば、子供はどうしても服装に制約される。

 

子どもの前でばらしち

山に行くときは、洗いざらしの丈夫な、いくらどろんこになっても汚れても構わないという服装をさせてほしい。ひとが新品だから自分の子もなどという考え方は、子供に迷惑であるいつか白馬の雪渓を運動靴で登ってくる一団があった。雪渓はすべるので、ギザギザの靴底でなければいけない。なぜ親はそのくらいのわずかなことに気づかないのであろうかもちろん教師が注意しないのもいけないけれども、子供が斜面をすべって、岩にぶつかって、けがをして学校の責任を問うだけでは困る親は白馬に行くという計画を自分の子が持ってきたとき、すぐに教師に聞いたらよい運動靴で大丈夫なのでしょうか
七五三を写真館で芸術的に
先生と並んで歩き

母親が言葉について

たよりない教師がわからないと言ったら、「すぐに現地に電話して、白馬の雪渓は運動靴でいいかどうか聞いてください」とたのめばいい。もしも教師が忙しくて手が及ばなかったら、親がそのくらいのことはしてもよい。現地からは絶対に危険という答が返ってくるはずである。これも東京都内の公立の一つの中学でまた、苗場山に登ったとき、地元の中学生はたしか五人に一人ぐらいの割合で先生がっいていたが、尾瀬で会った東京の中学は、二〇人に一人くらいの引率であった。もし教師が知らなかったら、親が注意してほしいところである。大事なのは事故をおこさないことなのだからところが、親の中には教師によけいなことを言うと、内申書が悪くなるという心配をするひとがいる。よく卒業式のときなど、みんなで出し合って教師にお礼をする習慣があるが、それだけでは不安で、自分は別の品物を届けなければならないと思いこむひともいる受験戦争の激しさとともに、贈物競争も年々エスカレートしているようである。

教育について私は一つの確信を持っています。

子供をスパイにして、そっと何ちゃんに聞いてごらんなどと言ってみたり、何とかさんのところは何々を贈ったなどと、いつの間にか評判になったりしている。贈物の多い少ないの有無で、内申書を斟酌する教師など一人もいないと信じる私は、子供を人質にとられているなどと言わないで、もっと教師と父兄が率直に話しあうことをすすめたいんし教師の悪口も子供の前では絶対に言ってはならないことの一つであろう。新学期に教師の配属が発表になると、親は当ったとか外れたとか言ってさわぐ。とくに女の先生はきらわれて、女の先生が11度くらい続くと、校長のところに文句を言いに行ったりする。まして妊娠などされると、同性でありながら、母親たちの眼は冷たく意地悪く、女の先生の腹部にそそがれるのである。子供たちにとって、先生のお腹の赤ちゃんを大事にすることもすばらしい人間教育になると思うのにたしかに、男の先生は跳び箱を上手に跳ぶかもしれない。
生でなければできないような細かい心遣いをしてくれるけれども、女の先生は女の先いつか相模湖で、東京のある有名私立中学の生徒が遊覧船にたくさん乗り過ぎて、たちがたくさん死んでしまった不幸な事故があった。
子供を全面的に信用することから始めることです。

子どもが楽しめることを親が提案してあげましょう。


子供知りあいの別の私立の女子中学校の女の先生がそのとき語った言葉が忘れられない
私の学校でも、あの少し前に相模湖に行きました。名簿順に生徒を並べないで、目方の順に整理して舟をわけて乗せましたから、乗せ過ぎということはありませんでしたこれは女の発想ではないだろうか。女は、お産をし、子供を育て、安全地帯に自分の身を置こうとする本能があるから、危険に対して敏感である。男の先生は、そのくらい大丈夫。ときには冒険をする。近ごろは何でも平等にすることがはやる。目方で区別したりし
て、差別だ侮辱だとさわぐ父兄や子供たちが、とくに目方の重い方から出るかもしれない。

高校と作品はつくられ続けます

先生はもうひとつのことを配慮してい

しかし、私の知りあいのその女の先生は毅然たるかたである。多分そうした非難があれば、神さまは人間をそれぞれに違うようにつくられていると言い返されることであろう。そして、何よりもこの場合、子供の生命を守ることが第一であった。
親はもっと子供の側に立って、子供のことを考えてほしい。親の立場、親の見栄で、供を律しないでほしい。このことはいくらくりかえしても、くりかえし足りない。
子よく子供が可哀相だと思うのは、お父様は××大学を出たのだから、何が何でもあそこに入りなさいと勧める母親である。また、まるでかたき討ちに出かけるように、
お父さんは入れなかったけれど、おまえが生まれたときから、おまえにぜひ入ってもらおうと思っていたのだと、父親が子供に強要したりする。これも子供には全く気の毒な話である。
勿論、子供の学力が相当していれば父子二代、その校風を慕っての入学はのぞましいけれど、いま子供を大学にやろうとしている親たちの中には、自分が大学に行っていないから、だからやりたいというひとが多いのではないか。
先生への評価になってくる。

子どものけんかに大人が出るなーという

親が大学を出ていて、却って子供は大学にやらないというひともいる。とにかく子供を持つということは、親の再教育、子供の親としてよりよい親になるための挑戦、それこそ中年からの生甲斐ではないのだろうか。

子供は父親を求めている

児童生徒に対して、
自分にとって大事な他者は誰かを調査した表がある。小学校、中学校と上に行くほど父親の占める位置が高い。小学校のうちは、圧倒的に母親、ことに女の子は母親が多いけれども、中学になると母親が減って、受け持ちの先生が強い影響力を与えていく。ところが男の子の場合は、小学生、中学生を通して、圧倒的に父親を頼りにしているしかし、父親が子供に対してどういう関心を持っているかを調べてみると、まことに頼りない。これは十年前の東京都のある区の調査だが、子供の答案を見るのは、お母さんが四七.二パーセント、お父さんが四·一パーセントで、お母さんの十分の一。

 

成績という同じ分野

父兄会に出かけるお母さんが八九パーセント、お父さんは一·三パーセント、悩みの相談相手になるのもお母さんが四五パーセント、お父さんは五·七パーセント、最後に進路の相談ということになると、お父さんがやっと顔を出してくるけれども、それでもお母さんが一六パセントに対して、お父さんは111.11パーセント。子供の方からは非常に父親を求めているのに、いかに頼りない父親が多いかがわかる。あるいはお母さんにみんな任せっ放しで、進路になるとお父さんが顔を出すのは、子供の将来に夢を託しているのは確かだけれどもそれまではすべて母親に任せっ放しで、結果だけについて発言する。
ベーゼンドルファーがやってきた
子どもたちが決められた壁以外の壁に絵を描いたとき

母さんとして

これは母親を信頼しているからかもしれないが、私はもっと日本の父親に子供に関心を持ってもらいたいと思う東京都民生局の調査で、両親への愛着度を統計にあらわしているお母さんのようになりたいかという問いかけに対し、小学校三年の女子は八一.七パセント、五年で七七.六パーセント、中学二年で五〇·四パーセント。また、お母さんのような人と結婚したいと答えた小学校三年の男子は三九·三パーセント、五年で四バセント、中学二年で三七パーセント。
お父さんのような男になりたい男子は、小学校三年で六四·五パーセント、小学校五年で六三·三パーセント、中学二年で五二.七パーセント。お父さんのような人と結婚したい女子は、小学校111年で五八.1パーセント、小学校五年で五0·四パーセント、中学二年で三二パーセントと、それぞれの子供たちは両親への高度の愛着を示し、これは父母の学歴とは関係ないのである。

母親はそう

親は学歴が人間の価値を左右すると思っているのに、子供の眼からは学歴が父母の人格に強い影響を与えているとは思っていない。また、同じように統計で、子供たちにとって一番好きな母は、外ヘ働らきに行かない家事専業の母で、四五.九パーセント、次に内職や自家営業に従事していて、とにかく家にいてくれる母が六七·四パーセントから六九.三パーセントで好まれ、仕事のために毎日外に出て行く母は五九パーセントをしめしている。子供はやっぱりお母さんは家にいてくれるのがうれしいのである戦後間もなく、まだ京都に住んでいた頃で、私は東京にいっては映画のシナリオを書いていた。
母親は人生の先達として

子どもの呟きが聞こえます。


ある時、ようやく仕事が終ってみやげものをたくさん買いこんで京都駅から4%家に直行し、車をおりてわが家への路地に入って塀の外までくると、庭先で小学校111年と四年の子供が話し合っているのが聞えたうちのお母ちゃんはいややな。
ほんまにいやなお母ちゃんや。
PTAにも来やはらんし。
人形もつくってくれへんし。
姉弟口を合せてさいごに歌うようにして、いやなお母ちゃんや
と言っていた。
私はその言葉に涙があふれて、しばらく立ちつくした。シナリオを書いているのも戦後に没落した家のため、生計をたてるためである。