子どもの表情や会話に劇的な変化

子どもを自立した存在と見

母親まったく
また、そういう学校に行かなくても、女の子が生まれると、母親は毎日の生活の中で、女はやがて子供の母になるのだから心身ともに大事にしなければということをしつけた。やがて卒業して、たとえ就職しても、結婚という機会が訪れてくれば、それなりに新しい結婚生活に対する心の準備はできていた。
戦後の教育の中では、ずっと共学のせいもあって、結婚して子供をつくり、ることを、特別に一つのテーマとして与えることがない。
その親となNHKの子供のしつけの不足について考える番組には、たくさんの反響があったというけれど、それだけひとびとの関心が強く、ひとびとが悩んでいるということであろうno子供といっても、ABCDそれぞれ異なる子供に、どういうしつけが適切でどういう指導がいいのか、それぞれの親なりの工夫が必要である。

母親が自分の生活自分の世界を大事にしているため
私たちが結婚して子供を与えられるということ、この自然の恵みに対して、夫も妻も協力して、生涯にわたっての大事業として取り組む覚悟がまず第一。子供が学べば、親も学ぶ。一緒に夫婦して、子供の教科書の研究もやってほしい。子供にとって、両親が仲間にも見える喜びであろう。
たとえ親がいつも正解を出さなくても、親にもわからないことがあるのかと思えば、子供も自信がつくし、暇なときには子供に、自分の少年時代、少女時代の話をしてやったり現在、親が困っている話も適当に子供に話してやれば、子供なりに勇気をだして親を助けたいと思いもするだろう。

子どもがいたとします。

よく親の権威を保つために、親は間違いのない、すぐれた存在だという偶像の中に自分を閉じ込めてしまうひとがいるけれど、親もこういう失敗をしたとか、親も生きるのがこんなに辛いのだなどという話をして、人生のきびしさにふれさせたらどうだろう。
これだけ子供たちの非行や家出や自殺などの多い時代は、まさに親たちにとっての非常時である。子供は親の背中を見て育つという言葉があるけれど、背中にはそのひとの一番正直な表情があらわれる。顔の表情はいくらでも取りつくろうことができるから、泣きたいのをがまんして笑うこともある。背中には隠しようもないそのひとの生きる姿が出る親はいつも子供の前を歩き、子供は親の後ろに従っていく。

父親が家族のために必死で働いてこのよう学習の原理を知らないで失敗する子供にどんな背中を見せたらよいか。毎日、子供が自分の後ろからついてくるという思いは、どんなに親にとっての生甲斐になることか。そんなことを、まず親が願うところから、子供のしつけは始まるのではないだろうか。

よりよい親になるための挑戦

子供たちの万引きというのは、いまやどこの町にもあるらしい。うまくやったといって喜び、タダで物をとって楽しむというのは、子供たちの心に、眼に見えないものをおそれるという気持がないからだと思う。神を持たない悲劇ともいおうか。

子どもはたくさんいると思います

親も子もそのこと気づかないひとが多いのも残念である一つの刑事裁判を見たことがある犯人は法廷で良心にしたがうことを宣誓する。しかし、検事に聞かれ、弁護士に問われたりしているうちに、だんだん言っていることがウソだということがわかってくる。裁判長からそれを指摘されると、本人も苦笑して、はい、ウソですなどと言っている。ではさっきの良心への誓いは何であったのだろう。神をおそれることを知らない心には、良心というものも、自分自身が標準なので至って心細いと思ったことであった万引きをした場合に、これをとがめるのはまず良心であるべきなのに、それが磨滅している。では教師はどう対応するか。経営者からの報告を受け、すぐ親の方に注意すればいいのに、ここで遠慮する教師がいる。家ではそんな教育をした覚えがない。

成績が優秀

学校の監督が悪いのだなどと言う親がいるからである。子供の非行がひどくなって、警察からよび出され、はじめて親が知って責任のなすりあいになる。眼に見えない神はこわくないが、警察はおそろしいのだ。
先生がたばこを吸ったことを注意したら、生徒がなぐり、なぐらぬ先生が父兄から非難されるという事件があった。その学校の父兄の一人からこんな話も聞かされた中学校にくる前にその子の通っていた小学校で、生徒をなぐった先生がいた。

      成績で何を呑気なこと言ってるの?
      母さんのところに走ってくるだけです
      先生に着目してもらえるよう


学習の原理を知らないで失敗する 母乳だけでは不足である。 学習の原理を知らないで失敗する