子どもでも親のすることをよく見ているのですね

母親がつき添って行った場合

それは申しわけなかった、今後は絶対にそういうことはさせませんと言うのが当り前なのに、「それは自分の子が悪いんじゃないでしょう。先生の授業がよっぽどつまらなかったから、自転車を走らせたんでしょう」などと言い、うちの子もなかなかやりますねなどと、いたずらっ子を剛の者扱いして喜ぶ親もいる。
たばこを吸う子も、高等学校はもちろん、中学でもたくさんいるけれど、うちの子に限ってそういうことはないとか、「うちでは絶対吸わないのに、学校で吸うというのは、先生への反抗心ではないですか。問題は先生の態度にありますね」などと学校の責任にする親もいるたばこなどは戦前から、少々いたずらっ気のある中学生がよく吸うと聞いている。
写真館の赤ちゃん写真は見栄えがよく見る

子供たちは普段から親がやるのを見ている

中学生の男女

子どもにかける費用を決めて彼らの告白によると、学校の便所などにかくれて吸う。煙はごまかせないが、吸いがらはもみ消して、ポケットに入れたりして、ひたすら先生に見つからないようにつとめたという。
専売局現·日本たばこ産業株式会社がせっせとタバコスエスエと宣伝している父親も兄貴も吸っている。中学生になって、いっぱしの大人の仲間入りをしたつもりの自子としては、たとえ未成年でも、吸わずんばあらずんばあらずということか。しかしこのごろの子供はかわい気がない。図書室や音楽室、はなはだしいのは、教員室の前の廊下にわざと吸いましたというように吸いがらを落して、歴然たる証拠を見せつける。

小学校で同じクラスになった学年

母親のほうがはるかに多いことでしょう。
たばこを吸うという一つの動作を学校への挑戦状としている。あるいは、吸ったよ、吸ったよさあ、吸った、おれたちの胸のうちを聞いてくれと言わんばかりである。親として、教師として、その胸のうちを聞いてやらなければならない。吸った子供をつるしあげるだけで
すむことではない友達をいじめる子、教師に反抗的な子、教師をなぐった子、れらの形に象徴される子供の心の中に何があるのだろう。
廊下を自転車で走る子、そある日突然、子供がヘビに変化したわけではない。ヘビの形をとるまでの小さな積み重ねがあるはずだ。
体験や感じ方

教育を昭和七年で終わ

学習で力をつけていくのでしょう。
中学校や高等学校で、たばこを吸ったり、酒を飲んであばれたり、教師や友人に暴力をふるったりする子が、どんな小学校生活を通ってきたか、小学校一年生から六年生までの間に、どんな精神の軌跡を辿ってきたか、学校だけにはとても任せておけない。また、教師に期待することも不可能に近い。教師は何十人かの子供たちを、限られた時間だけ学校で見ている。一人一人の胸のうちに深く入って聞くゆとりはないのである学校生活も文部省がゆとりある教育を打ち出すこととなったので、いままでのような詰め込みの教育ではなくなりつつあるので、子供たちの状況も変ってくるかもしれない。

子供もちょっぴ

子育ての失敗に関して
その成果を待つのには、併せて親たちがどうあったらよいかを考えてみたい。まず学校の授業についていけない、先生の教えることがわからない子供たち。そういう子の大部分はそれでもがまんして教室にいる。そして自分なりにわかろうと努力する。家に帰って兄姉に聞く。塾に行って教えてもらう。また家庭教師に教えてもらおうとする。そこには教室にすわっているのは、生徒の当然の義務だという気持がある敢えてその義務を放棄して外に出ていったり、ほかのことを始める子供は、あるいは勇気のある子かもしれない。といって、感心しているわけにはいかない。
子どもの表情や会話に劇的な変化

経験をお持ちでしょう。

自分をこういう状態に突き落した親を恨み、こういう生活を送らせる教師への憎しみによって、どんな自棄的、破壊的行動に走るかもしれない。その前に少しでも早く手を打たなければならない学校がつまらない、家庭がおもしろくないための家出、非行は急増し、男の子、女の子を問わず、暴力団への誘いが甘いささやきをこめて、学校の、家庭の枠からはみ出した子供たちを待っているたまたま私の親戚のものが、そこの院長であったため、ある家出非行少女たちを、から1年と研究して、更生の手助けをする施設の女の子たちに会ったことがある。